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─4─ 兄の死

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-07-04 20:30:00

 皇帝に二人目の姫君が生まれ、国内は祝賀の雰囲気に包まれた。

 名だたる貴族たちはこぞって祝意を告げるべく皇宮へと向かったが、私は一人屋敷で酒をあおっていた。

 隣の部屋からは、息子がたどたどしく乳母やその娘と話しているのが聞こえてくる。

 最近、息子は唯一の友人と言っても良い乳母の娘と共に、執事から簡単な読み書きと計算を習っているらしい。

 本来ならばそろそろ専属の教育係を付けるべきなのだろうが、私は敢えてそれをしなかった。

 実子に無関心な愚かな父親を装うため、そしてあわよくば世間からあの子の存在を忘れさせるためだった。

 息子にはこのまま権力争いに巻き込まれることなく、この屋敷で安らかな生涯を終えてほしい、そう思っていたのだ。

 だがある時、私は執事からこんなことを言われた。

「ご子息は大変聡明であらせられます。このままでは、あまりに不憫でなりません。それに……」

 ここから先は言ってはならない、そう思ったのだろうか。

 執事は突然口を閉ざす。

 付き合いも長く、彼に全幅の信頼をよせている私は、発言を許可した。

 執事は腰を直角に折った姿勢で、恐れながら、と切り出した。

「失礼いたしました。わたくしめが心配しているのは、閣下亡き後のことでございます。閣下の庇護を受けている間はまだしも、お一人で生きていかねばならなくなった時、ご子息は自らのお命をご自身で守らねばなりません」

 たしかにそのとおりだ。

 私の存命中はこの愚かしい演技であの子を守ることができるだろう。

 しかし、私が死んだあとはそうはいかない。

 世間知らずな息子はその無学ゆえ、反皇帝派に担がれ反乱の旗印にさせられてしまうかもしれない。

 そうなれば、結果は火を見るよりも明らかだ。

 さて、どうするか。

 それが運命と言ってしまえばそれまでだが、それでは結局息子を護ることにはならない。

 だからといって、今から息子に英才教育を始めれば、それはそれであの皇后に目を付けられる可能性もいなめない
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  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─11─ 語られる正体

     眼前には、白い墓碑が無数に並んでいる。 その大部分が、中に眠る遺体のない空っぽの墓である。 一体何度同じことを繰り返せば、その馬鹿馬鹿しさに気づくのか。 そして、その片棒を自らも担いでいることに気づき、ロンドベルトは思わず苦笑を浮かべた。「ここにおられたのですか? 人の記憶に触れるのは禁忌だと何度も……」 背後から呆れと怒りが入り混じったような声が聞こえてきた。 やれやれとでも言うように、ロンドベルトはわずかに肩をすくめる。「あいにくと私は神官ではないので、その規範に従う義務はありません。違いますか? 師団長殿」 言いながら、ロンドベルトは振り向く。 果たしてそこには、怒りを隠しきれないアルバートが立っていた。「神官云々の問題ではありません。人道的に……」「戦場で無数の命を手にかけている私が、今更人道に背いても大したことはないでしょう。そうは思いませんか?」 二の句が継げず押し黙るアルバートに、ロンドベルトは皮肉めいた笑みを向ける。 真面目で実直なアルバートを言い負かすのは、ロンドベルトにとって造作もないことだった。「時に師団長殿、一つおたずねしたいことがあるのですが、よろしいですか?」「自分に、ですか? お答えできるかどうか」 アルバートにしては、いつになく素っ気ない返答である。 が、ロンドベルトはまったく意に介する様子もない。「他でもない、かの御仁のことです。率直に見て、どう思われます?」 なぜロンドベルトはこんなことを聞くのだろう。 疑問に思いながらも不承不承アルバートは返答する。「神官としての資質は、十二分にお持ちです。……ですが、少々違和感があるのは否めません」  光を持たないはずの黒玻璃の瞳が、一瞬輝いたような気がした。 一体ど

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